「死」とは何か ― 川崎老人ホーム連続転落死事件を受けて

今日、ちょっと時事ネタに触れてみようかと。

約4年前に起きた、川崎にある老人ホームでの連続転落死事件。

被告人に対し、横浜地裁は死刑判決を下しました。

当時、いろいろあってこの事件は私にとって身近で衝撃的なもので。

今でも忘れられません。

新卒から高齢者に関わる仕事をしてきたので、

当時営業職でしたけど、

老人ホームに出入りすることは日常茶飯事でした。

老人ホームには、お元気な方もいらっしゃいますが、

認知症や老衰で動けなくなってしまう方が多くいらっしゃいます。

そういった現場で、

力のない高齢者を次々とベランダから突き落とすのは、

想像をするだけでも身の毛がよだちます。

「死刑」

この言葉が目に入った時、

言葉にできない感情があふれました。

正常な精神状態だったならば、

被告人の行なったことは間違いなくしてはならないこと。

悲しく、無念で、地を打ち嘆き涙します。

でも、私が目を向けたことは、

この事件に絡む「死」の問題。

人は「死」をあまりにも知らずに生きています。

私はずっと高齢者に関わる仕事をしているので、

「死」を考えずに生きる日はほとんどありませんでした。

「殺してはならない」

私が学ぶ聖書でも、旧約時代、つまりイエス様が生まれるずっと昔から、

神様がモーセという人物を通して律法として定められました。(出エジプト記20章 参照)

紀元前16世紀から13世紀の頃の話です。

それはイエス様の時代も、そして今の時代も、

殺人は神様が「してはいけないこと」と定められています。

被告人がどのような心理で、殺人を犯したのかは、

私は分かりません。

人はいくらでも人を騙せます。

「死」とは何か、説明ができますか。

「肉体の呼吸が止まり、動かなくなること」

「脳死」も含めて

それ以上の説明、概念を、

私たち人間の知識、研究だけで超えられますか。

これは被告人だけではなく、

裁判官にも問うてみたいと思うのです。

聖書にこのような箇所があります。

◆マタイによる福音書 7:1~2

「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。」

だからと言って無法地帯にするというのは全く話にならない話なのですが。

いつか、この事件をおこした被告人も、死にます。

人間の手によって。

神様はこのことを

一体どのように見ていらっしゃるんでしょう。

「死刑」という最も重い宣告を今回下されたことに対して、

一人の命ある人間として、摂理の人間として。

複雑な思いを綴りました。

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