自分というアダルトチルドレン 神様の治療法

 

自分の中に、きちんと整理しないといけないと思うことの中の一つに「家族」があります。

 

自分が作られる大半の要素である、家庭。

 

社会人になって「うつ病」と言われ、落胆と絶望の中で治療しながら、

しだいに目を向けざるを得なくなったものが「家族」でした。

 

病気になった当初は全く認知できなかったけど、

底なしの自尊心のなさ、自分は間違っているという無意識の判断、つらいのが当然、人の顔色ばかり伺う日々、

「生きづらいな」と思いながらも、そう思うのは全部自分が足りないから。

そういう考えが私を支配していました。

 

自分がなぜ無意識の中でそのような思考に陥るのか?

責任転嫁はしたくないけれど、

その原因をたどっていくと、嫌でも自分が育った家庭環境に行きつくのでした。

 

 

たぶん、小学校に進学するあたりから、家庭の中でおびえながら生活をしていたと思います。

詳細はここには書けないけれど、

自分は誰にも頼らず生きていこうと結論づけたまま、気付いたら大人になっていました。

 

 

自分は違うと思っていたけれど、少なからず私の中にはアダルトチルドレンの要素があるのかも、と思います。

 

 

 

神様の御言葉では、旧約時代から「親を敬いなさい」と言っています。

 

鄭明析牧師(先生)も、お父さんとお母さんのことを本当に大切に思って、

歌まで作って差し上げるくらい、あふれる愛を捧げています。

 

けれど、

「親を大事にしなさい」

この御言葉の実践は、

幼い頃から家庭でトラウマを抱えた私にとって、何よりも難しいのです。

 

 

あくまで自分だけの経験だけど、摂理にはそういう気持ちに共感してくれる人は少ないと感じます。

別に文句言ってるわけではありません(笑)

根本的な親の愛、神様の愛を分かって生きている、摂理の素敵な人たち。

 

だけど時には、

「御言葉ではこう言ってる」

「考えが大事だよ」

「祈らなきゃね」

と、真理だけを前に置かれて、終わってしまうこともあるのです。

 

解いてくれるのは人ではないんだなあと、「親」というなかなか乗り越えられない壁にぶつかるたびに思うのです。

 

 

決して円満な家庭環境ではなかった。

今になって葛藤するし、複雑になる。

 

だけどそんな思いとは裏腹に、

先生のお父さんやお母さんへの愛を目の当りにすると、本当に涙が止まらない。

あまりにも純粋で、屈折のない思い。

先生だけではなくて、世の中の親子の絆を描いた作品を目にすると、自然と涙が出てくるし、

不思議なことに、感動しないということがないのです。

 

 

そういう自分を客観的に見ながら、

親と子供との間の愛には、理由がないんだな。

という気付きに至ります。

 

 

確かに自分は幼い頃、パパとママが大好きでした。

 

パパとたくさん遊びたかったし、ママには幸せになってほしかった。

 

そこに理屈や理由なんてありませんでした。

 

だけどそんな気持ちも、いつしか忘れてしまっていたな。

 

今も、両親があの恐ろしい地獄に行ってしまうと思うと、絶対に嫌で、

 

気付けば一生懸命祈ってる。

 

 

イエス様も、親としての神様の愛を2000年間注いでくださった。

その愛にどれほどの人が癒されたのだろう。

そしてその愛を土台にして、私たちは今、先生から御言葉を学んでいます。

 

 

とにかくこんなふうに気付けたことが、本当に大きいな。

先生を通した神様の御言葉がなければ、私は絶対にここまで来られなかった。

 

人の力では決して解けず、癒されることのない、愛の問題を解決してくださる神様に感謝します(^^)

 

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