神様を信じていてもうつ病になる?

 

今日はこんな話題で(・ω・)ノ

 

 

「神様を信じていてもうつ病になる?」

 

 

結論、なります。

 

神様を信じている私は、なりました。

 

 

 

単刀直入すぎてなんだか笑っちゃいますが…

うつ病を発症した直後はこれを考えることが結構私の中で重要課題だったのです。

 

あくまで私の経験の中での話なので、興味があればお読みください。

 

 

 

神様といえば愛の存在で、神様だけは絶対的に自分を裏切ることのない唯一の存在として、教会に通う人なら誰しも認識していると思います。

 

6000年前のアダムとエバの堕落以後、どれだけ人間に裏切られ、誤解され、罵られても、

神様は私たちを見捨てずに今の時代まで地球を動かしてきてくださいました。

 

 

私は御言葉を学び始めた頃、

御言葉を自分の中でどれだけ否定しようとも否定できず、本当に正しい!と認めた時に、

神様がどれだけ自分を愛してくださったのか分かり、

自分も神様を愛して生きていこうと思いました。

 

「自分は愛されている」という事実は絶対に変わらないんだと、ずっと信じて生きてきました。

 

そして、心配、自暴自棄、否定的な考えはするべきではないことは基本の基本。

完全でなかったとしても、摂理に来る前よりはずっとその考えは捨てられて、楽に生きられるようになっていました。

 

 

 

ところがある時、体が痛くて動けなくなった自分に降りかかってきた病名は「うつ病」でした。

 

 

 

うつ病って、死にたいとか、消えたいとか、そう思っている人がなるものなんじゃないの?

確かにネガティブなところはあるけれど、

私は死にたいと思ったことは、摂理にきてからは一度もないのに、なぜこのようなことになったのだろう?

 

 

と、考えが堂々巡りしていました。

そもそもうつ病への認識自体が間違っていたんですけどね。

 

 

死にたいと思ったことは一度もなかったんです。摂理にきてからは。

だけど、来る前は、よく思ってました。

 

 

親も学校も、恐ろしいから自分を殺していたし、

相対評価、実力主義の環境の中で、劣等感しか抱けないまま過ごしていました。

常に自分には自信なんてなくて、自信満々に振る舞える人たちが本気で不思議でならず、もはや違う星の人間でした。

 

 

大学生になって、そんな自分や束縛された環境をかき消すかのように、自分と気の合う友人と楽しく遊び呆けて過ごしていました。

でもそれは、ただ臭いものに蓋をして放置しているだけだったのだな、と今なら思います。

 

「自分には価値がある」と人に言われて満足するのではなく、

自分で、心から、認めること。

 

根本的にケアをしないといけない部分に、ずっと気付けなかったのです。

 

 

今だから思う、自分がうつ病になった根本の原因は、

 

神様が自分を愛してくださっていることは受け入れられても、

自分が自分を許し、認め、愛してあげることは、できていなかったから。

 

「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。

イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

これがいちばん大切な、第一のいましめである。

第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

マタイによる福音書 22:36~40

 

自分を愛するということは、神様が人間に与えた、基本的な性質。

だけど、愛の冷えた時代に、何らかの要因でその大事なものが奪われてしまっているから、精神疾患も虐待もいじめも絶えないんでしょうね。

 

 

承認欲求がやたらと強かったり、自分の考えをコントロールするのが苦手な人たちに、

「こういう考えをするべきだよ」とか、「なんでそうなるの?」とか、いろいろ声をかけたくなることもあると思います。

 

「自分を愛する」って頭で分かってても、そう簡単にできないということは、それだけ深い傷があるということなんです。

そういう現実があることを、みんな知ってほしいな、と個人的には思っています。

 

 

 

 

ちなみに鄭明析牧師は、

「御言葉通りにしないからうつ病になってしまう。

けれど、会社でひどい扱いを受けてうつ病になる場合もある」

と、ある日の説教の中でおっしゃっていました。

 

ここまで精神疾患になってしまった原因を自分の内面の問題として書いてきましたが、

決して責任は自分にばかりあるのではありません。

だから、環境しだいでどんな人でも抑うつにはなるし、そんな自分に落胆しなくて良いと思っています。

そして、自分を苦しめる人がいるならば、その人もまた冷えた愛の中で育った一人の人間なんだなとも思います。

 

 

これからどう生きるかが、大切ですね。

 

 

 

私の経験に基づいた記事でした。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました(^^)

 

 

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