「カトリック教会の神父になりたい」と言った職場の先輩の言動

 

あにょはせよー りいです。

朝晩の寒さに打ち勝つのが困難です。

 

 

最近、私は「無理をしない」というわざを覚えて、

 

「あー、頑張ればできるな。

……でも頑張らないでおこう。」

 

という今までの人生では有り得なかった生活を送っております。

 

「怠け」との境界線が曖昧すぎますが、まあ根は真剣に生きようと思います。

 

 

ずっと自分の中にしまっておいたほうが良いと思っていたことがありました。

 

ですが、ちょっと気が変わって(?)、

ここで打ち明けてみようかと思います。

 

 

私がうつ病と診断がついた原因は、主に職場環境のゆえです。

 

分からないことだらけなのに、

とにかく現場に行け!

と、私にしてはなかなかの戦場でした。

そして後々自分も周りも困るという。

 

今冷静に考えれば、結構無茶言われてたなと思います。

 

自分は無能だと思うしかない状況が続きました。

言われたことは全て書けません。

 

でも、今日はそういった自分のつらかった経験談を書きたいのではありません。

 

 

私にかなりきつく当たっていた男性の先輩の話。

 

その先輩は、客先(?)ではとても人気者でした。

(うちは全く営業部署とかではありませんでしたが)

 

まあ正直、

営業先ではうまくやるけど、社内での評判は良くない人は結構見てきたので、

そんなことは私にとってはどうでも良いことでした。

 

 

しかし、その男性の先輩と接していて、

時折、不思議に思うことがありました。

 

 

神様とか宗教の話になると、表情が少し変わるんです。

 

 

 

初めは「気のせいかな?」思ってました。

 

しかしある事情で、とある教会の神父さんと挨拶する機会があって、

彼が神父さんに深々と頭を下げている姿を見て、

 

「おや。」

 

と、私の中の何かが確信に変わりました。

 

 

そしてその勘は外れではなかったようで、

 

ある時、ひょんなことをきっかけに、その先輩は

 

「カトリック教会の神父さんになりたい」

 

という話をしていることを知りました。

 

 

そんな人、こんなに身近にいたのか。

 

と驚きました。

 

それならばその夢を応援したい。

すごく素敵だ。

社会福祉士で、男性で、あれだけ仕事で困難ケースを突破してきた行動力があるんだから。

というか極端な話、摂理の御言葉を聞けばいいじゃないか。

 

イエス様を最高に愛し、

聖書を2000読し、

聖書に書いてあることを全て実践し、

自分よりも私たちのことを心配し、愛してくれて、

毎日欠かさず御言葉を伝え、

並大抵では絶対に不可能な量の御言葉、箴言、詩を書いて、

私たちを神様に結びつけてくれる、

 

最高の見本、鄭明析牧師がいるのだから。

 

 

・・・

と、思うしかなかったのですが。

 

 

私に立ちはだかるのは、

彼の口から出てくる私への否定的な言葉と、

私を拒絶してくるかのような、目も合わせて来ない、彼の態度。

 

そして私以外の人たちに対する、数多くの悪口。

 

 

上司にも相談した。

泣いた。

 

だけど状況は変わらなくて、

職場で起こった全てのことに、

私は勝てずに倒れてしまった。

 

 

◆ヤコブの手紙 2:26

霊魂のないからだが死んだものであるのと同様に、

行いのない信仰も死んだものなのである。

 

◆マタイによる福音書 22:36〜40

「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」

イエスは言われた、

「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

これがいちばん大切な、第一のいましめである。

第二もこれと同様である、

『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

 

 

先輩、すみません。

 

私は神様ではないので、

むやみに人に対して指摘することはしたくありません。してはいけません。

 

でも、私の脳には、

これらの聖句以外、あなたに対して思い浮かぶものはありませんでした。

 

神様を愛するなら知らないはずは無い、聖句。

私は、

ショックでした。

 

それとも、

「神父さんになりたい」

その夢は、

彼はもう、どこかに置き去りにしてしまっていたのかな。

 

 

 

今その先輩がどのように過ごしているのかは全く分かりません。

でも、心も行ないも、神様のもとで暮らしていてほしいと思っています。

 

憎しみは増えれば増えるほど

自分の身も心も滅ぼすことを私は摂理で学びました。

 

鄭明析牧師は、自分を憎んでいた人たちを、むしろもっと愛する人です。

だから私も、人間的な自分の汚い心は捨てて、

鄭明析牧師のように、彼の本当の幸せを願おうと決めました。

 

 

あー、いろいろあったけど、

なんだかんだ世の中で学んだなあ

まだ30にもなってないんだけど

そしてこれからも一生、学んでいくんだなあ

しんどいこと、まだたくさん経験するんだろうなあ…

 

 

でも、鄭明析牧師に会わなかったら、

つらいことをつらいままにして、

うつ病も自分なりの方法で解決して、

自分の限界から抜け出せない人生だったのかと思うと、

 

私はやっぱり幸せかな。

 

 

ブログで書くつもりはなかったことだったけど、

打ち明けてしまいました。

 

今日もひとつの記録を残せて感謝。

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