「病気」は神様からのプレゼント?

 

以前、以下のツイートをしたのですが、

わりと多くの方が目を通してくださったようで、共感の声を頂きました。

 

 

これは度々思うことでもあり、

摂理の教会の中にいてもよく言われます。

 

決して悪気はなく、励ましたい、という思いで言ってくださると思うのですが、

精神疾患に限らず、重病を患っている人たちにとっては、むしろ力を落としてしまう言葉だったりします。

 

 

私の場合、

「神様を信じて頑張っていたつもりなのに、なぜこうなったの?」

「私の中に大きな罪があるのだろうか?」

と、病気の診断そのものが会社で侮辱され続けた日々よりずっと落ち込むものでした。

 

 

そんな中で、

 

「御心があるんだよ」

「うつ病の人の気持ちが分かる人は貴重だ」

「病気にならないと得られないものがある」

 

等々の言葉は、

 

「じゃあ、あなたが私と同じ立場になったらどう感じますか?」

 

と返したくなるような、申し訳ないけれど重症の状態であればあるほど、残酷な優しさに感じたものです。

(それとも私の心が幼い?)

 

 

「ああ、この経験があったから、今の私があるんだな」

 

って、自分で認めて初めて言えるのであって、

人から言われる言葉ではないと思います。

 

 

 

 

しかし、今日はそんなことが言いたいわけでも、そう言ってきた人を責めたいわけではなく…

 

このツイートに対して、こんなリプライをくださった方がいらっしゃいました。

核心だけ↓↓↓

 

病気になった時に、健康な人に、神様からのプレゼントだよって言われた。 

 

みなさんはどう思うでしょうか?

 

神様は病気を人間に「プレゼント」する方なのでしょうか?

 

私の答えは「基本的にはNO」です。

 

 

 

そもそも「プレゼント」って、祝福の意味を込めて使う言葉かと思います。

辞書には「贈り物」とありました。

 

 

では「病気」は何かというと、

病気

1 生体がその形態や生理・精神機能に障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、健康な日常生活を営めない状態。医療の対象。疾病 (しっぺい) 。やまい。

2 悪い癖や行状。「いつもの病気が出る」

出典:goo 国語辞書

 

とあります。

とてもではないけれど、本人にとって苦痛となるものをプレゼントとして与えるなんて気がおかしい人か、いやがらせ以外の何物でもありません。

 

 

ましてや愛のゆえに人間を創造し、常に良い方向へと導いてくれる神様が、

「あなたへの祝福のプレゼントだ」

と言って、病気なんぞをくださるでしょうか。

愛する人が苦しむ姿を見たい恋人が一体どこにいるというのでしょうか。

それはサタンです。

 

 

この言葉をかけられたリプライの主さんは、傷ついた上に神様をずっと誤解していたそうです。

私自身もとても心が痛かったです。

 

 

 

「じゃあなんで病気なんかを神様は創造したのか、病気になった人を放っておくのか」

 

という声も聞こえてきそうな気がします。

 

 

本人の不摂生、遺伝、環境、誤診による見落とし…etc

 

その人の責任ではない場合も多々ありますが、

 

教会に通い、神様のことを学ぶ中で私が感じるのは、

 

病気は「創造された」というより「できてしまった」

が正しいニュアンスな気がしています。

神様が願う生き方ができなかったゆえに引き起こされる場合が多いと思うからです。

(私は医者ではないので恐縮ですが…)

 

 

しかしそのような中でも、

神様は時代の発達と共に医療の発展もさせてくださっています。

 

医療を通して神様は人間を最大限救おうとしてくださっているので、「神様は人間を見捨てた」という見方はするべきではないと思います。

 

神様は「私が医者の手を通して治してあげる」と言ってくださる方なので、病気になったからといって無条件神様を恨むことはしてはいけないですよね。

 

 

 

 

だけどそれでも、

「なんで私が」という重篤な病気になる場合もあります。

悪いことしてないのにって。

 

 

 

その現実を受容するのってすごく難しくて、でも時間は残酷なほどにどんどん過ぎていきます。

何もしなければ現実から取り残され、ますます悪化をしてしまいます。

 

 

どのように表現したら良いか分かりませんが、

正直、なってしまったものってどうすることもできなくて。

「なかったこと」にはできないですよね。

 

だから、どんな病気だったとしても、

目の前にあるものと向き合う以外選択肢はないんです。

 

 

 

 

病気とは違いますが、

この上ない苦痛の人生を歩んだ人と言えばキリストです。

 

 

2000年前イエス・キリストも、ご自身は完全な身でありながら十字架につけられ死にました。

 

手足を釘打たれ、十字架にかけられることを誰が喜んでするでしょうか。

 

それは神様が願った道では決してなく、だからと言ってイエス様が失敗してしまったわけでもなく、

当時イエス様を憎んで反対した人たちが犯した大罪でした。

 

 

 

十字架の道は絶対に行くべきではなかった。

 

けれどその道を行った結果、何がおきたかというと、

 

その時代に神様が成したかったことを成し遂げたし、

 

イエス様ご自身は肉体は殺されたけれど、その霊はパラダイスの新約級の天国で誰よりも栄光を受けて今も生きています。

 

 

 

 

私たちの慕う鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師もそうです。

 

誰よりも侮辱され、悪評され、裏切られ、殺されそうになりました。

 

誰よりも苦労し、死ぬ同然の苦痛を受けました。

 

人が見るなら到底「幸せ」とは言えない過去だったかもしれません。

 

しかし現在の姿を見るならば、文句のつけようがないほど立派な方です。

 

私自身はその壮絶な人生を乗り越えた鄭明析牧師だからこそついていきたいと心から思います。

 

 

 

 

なので結論…

 

「病気」は、神様が願った道ではなかったかもしれません。

 

 

しかし、それを克服しようと神様の手を握って前に進むのならば、

 

いつか必ずその苦労に見合う「プレゼント」をくださると思っています。

 

それがいつになるかは誰にも分からないけれど、諦めたらそこで試合終了です。

 

 

車で山の頂上に行くよりも、

自分の足で歩いて、途中転んだりくたびれたりしながら頂上に行くほうが、

肉体も精神も磨かれるし、

見える景色も絶景だと思います。

 

 

うまく表現できませんが、

病気は「プレゼント」ではなく、

その人が最高のプレゼントにたどり着くための「過程」のようなものかもしれません。

 

 

だから、病気でも落胆せずに最後まで進んでいこうと私は思います(^^)

 

 

 

 

神様に対して、誤解をしている人がいるならば、

ひとつでも多くの誤解を解きたい。

 

そう思って書きました。

 

 

最後まで目を通してくださって、ありがとうございました。

 

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