「うつ病は神様からのプレゼント」という言葉に対して神様を学んだ私が思うこと

 

主日礼拝からの帰り道。

電車に揺られながら、「うつ病は神様からのプレゼント」という言葉の意味について考えていました。

 

 

「うつ病」と診断書に書かれるようになってから2年半以上がたち、

治療しながら今では週4程度で働けるようになりました。

 

減薬中だから今後体調に変化がある可能性は大いにあるけれど、

「ベッドの上で何もできない自分」はもういない。

 

そんな中でふと思い浮かんだ「うつ病は神様からのプレゼント」という言葉。

 

すごく元気になったとはいえ、

私の中では「うつ病は神様からのプレゼントだった」と言える日は、

今のところは来そうにもない。

 

 

 

決してこの言葉を発信している人の考えを批判するつもりはないのです。

 

あくまで「教会に通って、神様のことを学んだ個人的な考え」ということを置いたうえで書こうと思います。

 

 

 

 

私自身の感覚だと、「うつ病」って、

プレゼントのように「与えられるもの」ではなく、

「なってしまったもの」なんじゃないかなって思っています。

 

プレゼントって、相手を思って「はい、どうぞ」ってあげるような、

言い換えれば「贈り物」、「ギフト」。

つまり「相手に真心を送る」こと。

 

うつ病って自殺する人が多発するほど苦しいものなのに、

「プレゼント」という表現が、適切なのかどうか。

 

 

神様は「病気にならないように」働いてくださる存在です。

私たちの肉体も心も健康で、幸せでいることを願っています。

 

病気にならないために運動もして、食べ物も気を付け、酒もたばこも断ちなさいと言います。

 

鄭明析(チョンミョンソク)牧師も「病気にならないために病院で定期的に検査を受けなさい」と何度も何度もおっしゃいます。

それは一般的な病気はもちろん「うつ病」も例外ではなく、何度も説教の中で出てきました。

 

 

 

私はうつ病になって、失ったものは本当に多いです。

キャリアも、経済も、時間も、やりたかったたくさんのことも、

病気ゆえになくしてしまいました。

 

まともに就職しようと思っても、うつ病歴のある人間を採用してくれる企業もそうそうなくて、

社会的には本当に生きづらくもなりました。

 

 

この現実を前にして、

「うつ病は神様からのプレゼントだよ」

って誰かから言われたら、

平穏な心が音を立てて崩れる思いがします。

 

 

でもそれと同時に、

うつ病にならなければ得られなかったものはたくさんあります。

 

このブログも書かなかっただろうし、

このブログを通して繋がった大切な人たちがたくさんいます。

広がった世界がたくさんあります。

こうにでもならなければ救えなかった命がいます。

 

 

だから、うつ病を背負った自分の人生が100%悪の連続だったかというと、決してそうではありません。

それは間違いなく認めるしかありません。

 

 

しかしそのような中で神様は、人間をほったらかしにするような方では決してありません。

 

懸命に努力して、耐え忍んで、生きるために必死で涙を流しながらもがく人間を見たときに、

「私が与えた命を諦めずに生かしてくれてありがとう。よくやった。」

と言ってくださるはずなのです。

より一層、愛してくださるはずなのです。

 

そして、「うつ病で失ってしまったものより、もっと大きくて貴重なもの」を、神様は与えてくださるのだと思います。

 

私はその「与えられたもの」に対して、「プレゼント」という表現を使うのがふさわしいと思います。

 

 

神様がどんな方なのか知って、

うつ病になって、

病気の苦痛を経験して、

ある程度回復をして動き始めた…、

 

そんな私が思うことが、今日のこの記事です。

 

 

お読みくださり、ありがとうございました(^^)

 

 

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