今回は主日の御言葉にふれて自分のことを書いてみようかな~と思います。
一週間前のものですが、更新できずにいました…。
かっこつけたり魅せるのは嫌いなので、
ありのままで泥臭い内容にしてみました。
なので「こんな人もいるのか~大変ね」という心持ちで読んでくださいませ。
信仰的な内容になるので苦手な方はバックしてください~
先週は、
「主にも自分にもどんな人にもつまずくな」
という主題の御言葉でした。
そもそも聖書で言う「つまずく」とは、文字通り石とかにつっかかって転ぶ、というような意味ではなく、
◇信仰がつまずく、信仰の足を踏み外す、試みに遭う
というような、何かがきっかけになり信仰生活を正常に歩めなくなるようなことを言います。
今回の主題に則すと、
「何であの人はああなんだろう?
どうして主はああするのだろう?
自分はなぜこうなんだろう?」
といようなニュアンスです。
誰かに対して、
「何故ああするんだろう?すごく気分が悪い。
今までは良かったけれども。
失望だ。がっかりだ。」
そのように思ったことは誰しもあると思います。
しかし先生は、
「何があっても、理由を問わず、つまずいてはいけない」
とおっしゃったのです。
私の場合、神様や主に対してこのようにつまずく経験は有り難いことにほとんどありませんでした。
理由はおそらく、神様は絶対的に自分を憎む存在ではないと確信をしているからだと思います。
では何につまずきまくりだったかというと、
ほぼ100%、自分や教会の人たちに対してです。
まず自己肯定感が地よりも下を這っていた私は、昔はよく自分の不出来さにため息ばかりついてました。
「私はなぜ周りのお姉さんのように仕事と教会のことを両立できないんだろう」
「朝早く起きることがなんでこんなにもできないんだろう」
「なんでこんなに要領悪いんだろう」
「みんな清すぎる」(摂理に来る前は遊び呆けすぎていた)
とか。
良いところよりも悪いところにばかり目が行く日本代表でした。(過去の話)
しかし、それよりも大きいのは「人によるつまずき」でした。
「はあ?」
Σ(・ω・ノ)ノ え?
と…一定の人に対して思うことが多く…。
もう、言われた言葉が信じられなくてその場で頭真っ白になったこともあったし、
脳が銃で打ち抜かれたような衝撃の数々でした。
今同じこと言われたら「違いますよね?」と言えますが(^^;
ある程度年齢いってからつまずくことは何かというと、
「大人ですよね?」
「有名な牧師の前ではしませんよね?」
と言ってしまいたくなる対応…。
どうやって信頼すれば良いと言うんだ…と何度も思いました。
もちろん根に持つことはしたくないし、
さらっと受け流したい。
でも、何かきっかけがあるとフラッシュバックしてしまう。
それがつらい。
神様を信じていない人に言われるより、
神様を信じ愛している人から言われる言葉のほうが、
ずっとつらい。
何よりつらく思ってる自分を見るのが、一番つらい。汗
それで、この御言葉が宣布されたわけなので、
私は半泣きで祈りました。
「神様。
何度も同じことを訴えていますが、
神様が愛する人、神様を愛する人のことを
悪く思いたくありません。
根に持つことも嫌いになることもしたくありません。
だけどつらい記憶はなかなか消えません。
それが本当につらいです。」
このお祈りはもう、ずっと長らくしていたのですが、
今一度真剣に祈りました。
それで降ってきた答えはこうでした。
抜粋ですが↓↓↓
「その人が持つ、何万とある面の中で、
1つ2つの矛盾が、たまたまあなたに向いてしまった。
その人がどうではなく、悪魔サタンがあなたを殺すための策略だった。
その人の矛盾を通してあなたをつまずかせ、落胆させ、失望させ、信頼を損なわせて、
なんとしてもあなたを殺そうとたくらんだ。
大人なのに、指導者なのに、その態度か?その方法か?と思っただろう。
そう、大人なのだから、普通に考えたら本人もおかしいと思う。
だからその人がやったというより、サタンがやらせたと思うほうが妥当だ。
立ち止まってはいけない。
本当にサタンの策略通りに死亡の道に行ってしまう。
だから全部天に告げて前に進もう。
結局、最後には全てあらわにする。
つらくても御言葉通りに行なったことが義だ。
最後まで頑張ろう。
私が全て知っている。」
その人ではなくサタンがさせた。
もうずっと脳にあって、知っていたことではありましたが、
今回はっきりと聖霊が教え、脳に強く差してくださいました。
もう今までのように傷付かないし、癒されたし、
つまずかない準備ができました。
その時に宣布された御言葉の通りに行なって得た答えは本当に偉大です。
私がそうであったように、全ての人の答えとなる週だったと思います。
さらに先生は教えてくださったことですが、
そもそもつまずく理由は、
「それだけ自分の期待、心、生、希望をかけたから」
「過去にしてもらったことやいきさつを忘れたから」
本当にその通りです。
絶対的な存在である神様は絶対に誤解してはいけないし、
私たちは、不完全な存在であると分かった上でお互いを見るのはそうですが、
普段から人格的な行いをしていれば、何か他人に不快な思いを与えたとしても、人をつまずかせるまではならないんじゃないかなと思います。
こんなふうに書きましたが、私自身も誰かをつまずかせる存在になり得るということは忘れてないつもりです。
ちなみにいつも「自分のせいでつらく思っている人がいるならば本人に謝るので必ず教えてください」と祈ってます。
本当にそれが恐怖ですね。
どう締めくくればいいか分かりませんが、とにかく理想の世界が広がればいいなって思います(^^)