「福祉」人の命と生活に寄り添う仕事を通して感じたこと②

 

私は新卒の時からずっと高齢者に携わる仕事を続けています。

 

前職では営業、現職は相談員。

 

 

よく

「高齢分野は行き先がない」

と言われることが多々ありますが、

 

 

私は、今目の前にいる「死」を見通して生きている人々の姿を見て、

 

決して学びのない仕事だとは思いませんでした。

 

 

 

当たり前にできていたことができなくなり、

 

認知症でなくても一人では自立した生活ができなくなってしまうのです。

 

 

逆に肉体は動いても、認知症が進行すると、

 

人が介入せざるを得ない状況になります。

 

 

その家々で本当に異なりますが、

 

積み重なった悪感情によって、

全ての支援が円満という家庭ばかりでもありません。

 

 

「なんでこうなってしまったの?」

 

 

現状を見るだけでそう思うことも多いのです。

 

 

 

末期癌で、

ついこの間までお話をしていた方があっという間に亡くなってしまう。

 

切ない思い出も私の中に数多くあります。

 

その日の仕事を終えて一人で会議室で泣いたこともあったな…

 

 

なんにせよ私は新人だったので、

 

ひとつひとつ経験を積むしかありませんでした。

 

 

 

 

結果には必ず原因と過程があるように、

 

人の「最期」も同じだと感じます。

 

 

「今」の積み重ねをどうしていくかで、

 

将来が決まるのだな。

 

そう実感するしかないのです。

 

 

 

 

以前、川崎の老人ホームの連続転落死事件の記事でも少し触れたのですが、

 

 

私たちが扱うものは「死」です。

 

最期のその時までどのように人生を過ごしていくか、

 

それを考える人たちを対象にしているから、

 

簡単な覚悟じゃいられませんでした。

新人でもありましたし。

 

 

 

 

「死」の概念も分からず、価値観も人それぞれ。

 

そんな人間たちが「死」という仕事を扱うのは、

 

ある意味恐ろしいと私は感じます。

 

 

 

 

「死」ってなんなの?

 

なんのために、今まで生きてきたの?

 

今、本当に幸せですか?

 

 

 

 

もちろん人の命は大切です。

 

 

命の危険が伴うケースはすぐにでもかけつけます。

 

 

だけど、

 

 

 

「生きてたって仕方がない」

 

「早く迎えがこないもんかな」

 

そんなつぶやきを耳にすることは少なくありません。

 

 

 

 

なぜそう言うのだと思いますか。

 

 

 

 

人生の目的を知らずに生きたからです。

 

 

 

それは若者だって同じです。

 

そうでなきゃ年間3万人も自分で自分を殺しません。

 

 

 

 

私たちは摂理で鄭明析牧師の教えを聞いて生きています。

 

死ぬことも生きることも学びました。

 

 

生意気な20代が、と言われるかもしれませんが、

 

 

高齢分野に属して仕事をしている以上、

 

「生」と「死」は摂理の人間として、

目をそらせない現実なのです。

 

 

 

 

本当に意味のある生き方。

 

 

そして支援。

 

 

必ず実現させたい、願いのうちの一つです。

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