あにょはせよ(・ω・)ノ
ここ1カ月半ほど、実は教会のメンバーの家にお世話になっていました。
前の家から新しい家に移るまでの間を、素敵な姉妹たちと一緒に過ごしました。
今は引越しも終わり、約2カ月ぶりに得たオフを利用してブログを更新しています。
タイトルでは「ルームシェア」と書きましたが、よく考えると正しくは「居候」ですね…。
別に自宅になったわけではなかったので…。
けど、ブログの見栄え的にこちらでいこうと思います(笑)
コロナ禍で、摂理教会では全面的にやむを得ない理由がない限り、メンバーと会うのは原則禁止です。
礼拝もmtgもすべてオンライン、聖殿にも運営上必要な最低限の人数しか立ち入りできません。
なのですが、不審者(?)に目をつけられ、危険ということで住んでいた家を急に出ることに。
実家も頼れず、頼った先は教会のみんなでした。
突然電話したのにも関わらず、車で迎えに来てくれた優しい教会のサブリーダーのお姉さん。
寝る場所を準備してくれた、夜勤で疲れているはずの友人メンバー。
コロナ禍で、そう簡単に誰かを招くのも難しいはずなのに、感謝しかありません。
行先真っ暗の中、突然居候ルームシェア生活がスタートしました。
しばらくの間は、気が張って眠れなかったり、
何か迷惑かけるんじゃないかなーとめちゃくちゃ心配しました。
実際、お姉さんのシャンプーの上とか、お風呂のいたるところに私物残したり、キッチンに洗い物残したり、
片付けろよ!みたいなこと勃発(汗)
住人よりもしょっちゅう洗濯もするものだから、どんだけ光熱費爆上がりさせただろうかとも思います。
しかも、せめて何か恩返しのために掃除しようにも、常にきれいでほぼ何もしていないという…。
「自由にしてね~」という優しい言葉によって、すごく気が楽でした。
今まで誰かとルームシェアしたことは一度もなくて、
やたら神経質で個人主義で、好き勝手やってしまう自分が、果たしてできるのか?
一緒に住む人のこと嫌いになるとかブラックな噂あるけど、そうなってしまうのではないか?
と、それはそれは心配しました。
だけど、受け入れてくれた人たちが本当に親切であたたかくて、とても楽しく過ごせました。
むしろ、一緒に住んだ人のことをもっと好きになりました。
きっと、一生の中で忘れらない経験になったことだと思います(^^)
少し重い話にはなりますけど、「家族」のあたたかさを私自身生きてきた中で実感したことって、実はそうありません。
子供の頃からおびえながら、親や周囲の顔色を伺って生きてきたし、
大学2年からほぼずっと一人暮らし生活だったので、「一人でいる」ことが当たり前だったんですよね。
むしろ一人でなくなることが怖かったというか。
だから人生ずっと一人で生きていけるように自分を作ってきたし、そうやって生きていこうと思っていた面もありました。
だけど、今回のこの経験は、そういったさみしい自分を打ち壊してくれた、とても貴重な機会でした。
摂理で有名なある牧師さんが「摂理はみんな家族だ」とよくおっしゃるのですが、その意味が少しわかったような気がします。
貴重な経験をさせてくださった神様に感謝します(^^)/★