私が初めて摂理の礼拝に出たのは、今から8年半くらい前。
当時大学生で、摂理教会に通うまでの私は、それはそれはドン引きするくらいの遊び人で、
今では「あんなにだらしなかった酔っ払いがよく真面目に教会に通ってるな」と思うほどです。
「奇跡」とはまさにこのこと…。
そんな超だらしない人間を変化させたのはまぎれもなく【摂理の御言葉】だったわけなんですけど、
御言葉を学べば学ぶほど、真理を知りたくなり、楽しくなったのを覚えています。
そんなある日、お世話になっていたお姉さんに
「毎週日曜日は礼拝をしているよ。きてみる?」
と言われ、
「行きたいです」
と答えたのが摂理の礼拝に出たきっかけでした。
ということで今日はその時の話を正直に書いてみようと思います。
◆当時の私の「礼拝」に対するイメージ
当時の私は「礼拝」に対して、あまり偏見やイメージは持っていませんでした。
多分、今まで聖書とかキリスト教に触れてこなかったからだと思います。
「御言葉を聞いてみたい」という思いが強かったので、
「怖い」「怪しい」みたいな感情はあまりなかったのです。
とはいえ、教会の人たちに出会って間もない頃は、みんなの私生活が謎すぎて少し警戒していた時期もありました。
しかし、わりと長い時間をかけて関わっていく中で、最終的に教会のお兄さんやお姉さんが「信頼できる人」になれたのが大きかったと思います。
同じ大学(早稲田)の仲間もちょいちょいいたので、なんとなく心強かったかも。
◆摂理の教会の人たちの印象
緊張して足を運んでみたのですが、私に対して冷たくしてくる人がいなくて嬉しかったです。
とてもシンプルですが。
なんというか、「よそ者」「あなた何?」っていうマイナスな波長がなかった。
学校や会社で、自分とタイプが違ったり、または「なんとなく」という理由で、冷たくされた経験がある方もいると思うんですけど、
摂理の礼拝では、そういう空気を感じることはありませんでした。
「あの子初めて見るなー」という視線は痛いほど感じて重かったけど(笑)
多分これは、時間が経っても、どこの教会でも同じなんじゃないかなと思います。
どんな人だったとしても、「仲間が増えてうれしい」って、今私が新しく教会に来てくれた方に対しては強烈に思いますよ。
◆教会の人たちの服装の印象
「白いスーツってあるんだ。」
って思いました。それ一択。
男性も女性も全体的に白い。
清潔感あふれすぎている。
カジュアルな服しか持ってなかったので、着ていく服を選ぶのに苦労した記憶があります。
長くなるので別の記事で書きます。
◆教会の建物の印象
「教会がビルの中」でした。
その発想は当時の私にはなかった。
第一印象「狭い」。
狭いというより、フロア面積に対しての人口が多すぎる。
とりあえず人が多い!
通路がもはや通路ではない!
数メートル移動するだけなのに、こんなに苦労したことはなかったです。
昔から人混みが苦手だった私は、ひそかに酸素不足を感じていました。
今では良い思い出です。
(今は引越して広い建物になってます)
◆礼拝の時間・式次第
全体的に厳かで、私語もなく、みんな真面目に座っていました。
礼拝が終わったら、それぞれお昼食べに行ったり、何人かで集まって話し合いしてたり、わいわいした雰囲気。
礼拝の式次第に対して何を感じたかは、正直覚えていません(;^_^A
すみません。
なぜなら、「座っていれば大丈夫」と言われていたから。
だと思います。笑
そりゃ初めて来る人が何かするわけではないですからね。安心。
でも、座っていてしばらくすれば帰れるかと思ってたら、
「初めて礼拝に来てくれた」ということで、めちゃくちゃ声かけられて、内心焦っていました。
みんなの前で挨拶もさせられ、
そんなの聞いてねーよ!!!涙
って心で叫び、焦ってたどたどしすぎる言葉をつぶやいた記憶しかありません。
「座ってたら大丈夫」という言葉にまんまと油断していました。
良く言えば「アットホーム」なのでしょうか。
◆礼拝時間の長さ
緊張していて、長くも短くも感じたのが正直なところです。
感じ方には個人差があると思うのですが、
午前中からお昼過ぎくらいまではあるので、
単純に長い時間座っている習慣がない人にとってはもしかしたら長い?かもしれません。
◆個人的なエピソード
①御言葉の時間の眠気がMAXだった
礼拝の一番大事な時間なのに…(泣)
しかも、一番前の席で。
みんな「あの子眠いな」って気付いていたことでしょう。
その日は朝4時くらいから起きていて、超夜型人間の私は体質ができていなくて限界だったんですよね。(言い訳)
「これは絶対怒られるわ」と思ってたら、特に誰からも何も言われませんでした。
神様あの時はごめんなさいって今でも謝ります。
②男性が話しかけてこないことに感激した
共感を得られるかどうかは置いといて、印象的だったエピソード。
もちろん牧師さんとかには挨拶はしましたけど、それくらい。
教会に通うまでの人生はというと、
学生生活(部活・サークル)やアルバイトを通じて男子の友人が多かったのです。
その中には、「彼女がいる」「恋愛経験がある」ことをステータスにしている人も少なからずいたんですよね。
個人的にその価値観は好きではなかったのですが、「大半の男子はそういうもんなんだ」と認識して生きていました。
でも、摂理の教会の男性たち、そういう人いない。
恋愛云々より、自分のやるべきことに向き合っていて素晴らしい。
礼拝も、席が男女で分かれてるし、
なんて平和で理想世界なんだろう。
と、当時の私は本気で思いました。
————☆————
そんなところでしょうか。
キリスト教の雰囲気とか何も知らなかった私にとっては、いろんなことが新鮮に映りましたね。
◆最後に。
「礼拝」なので、当然「お祈り」「賛美」等々あります。
基本、聖書を基盤とした神様の話、御言葉です。
日本人にとってはあまり馴染みのないものかと思います。
それは、私が初めて礼拝に参加した当時も、今も同じです。
いきなり何も知らない人が椅子に座ってその光景を目にしたら、やっぱりびっくりすると思います。
いろいろ話を聞いた上で参加した私ですが、
「もしかしてヤバかったりして」
って、思う瞬間も正直ありました。
けど、それだけ見て「もうやめよう」というより、
「御言葉は好きだし、正しいと思うし、ちゃんと向き合ってみよう」
と思いました。
そしたら、疑問は御言葉で解かれていき、
今でも摂理の教会が好きで通っています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
個人的な経験ですが、「へーそうだったんだ」と楽しんで頂けたら幸いです。
ぜひまたお立ち寄りください(^^)