コロナ禍になって仕事以外で直接人と話すことがなくなり、文字通り一人暮らしをつらつらと続けています。
とはいえ教会の人とzoomやLINEでしょっちゅう(毎日?)連絡はとっているので、「さみしい」と感じることは全くありません。
摂理というコミュニティは本当にありがたくて、絶望していた人生を希望に変えてくれたし、「私って生きてていいんだ」と気付かせてくれた場所でした。
それだけでも一生感謝すべきことなんですけど、このコロナ禍の大変な生活を彩ってくれるのは、同じ摂理教会に通う友人たちです。
一人暮らしで、毎日家と会社との往復。
時々休暇。
毎日毎日、同じことの繰り返し。
もしも摂理にいなかったら、絶対にこんな生活にうんざりしていただろうし、何に手を出して虚しさを解消しようとしていただろうかと考えると怖くなります。
けど、同じ摂理の御言葉を聞いて、神様を信じて、会えないけど近くにいる兄弟姉妹たち。
その中でも、自分の心をわかってくれて、
何か言えば本音で返してくれて、とことん向き合ってくれる人たち。
そんな「信仰の友」を通して、神様は何度も私を癒してくれた。
どうでもいいことで手を叩いて笑って、でも真面目に教会の仕事もして、時々弱音も吐いて、何かあればすっ飛んできてくれる、そんな人たちと一緒に走るのは、本当に楽しいのです。
彼氏が欲しいとか、お酒が飲みたいとか、仕事に没頭したいとか、
摂理にいなかったら、さみしさを埋めるためにいろいろ考えていたのかもしれない。
でも、それよりももっと優先して大切にしたいものがあって、
今私は何の不足もなく毎日過ごしてる。
それってすごい(^ω^)
摂理の縁は永遠。
ずっと続くものを大事にしよう。
神様に感謝します(^ω^)