相談するなら「知っている人」

最近、生活しながら適応障害の症状にとても悩んでいます。

「誰か私の胸の中に鉛でも落としましたか?」

と思うくらい、朝から容赦なく襲ってくる倦怠感。

そぎ落とされる自信とやる気。

やらなければならないことが全く進まない。進められない。

さすがにSOS出すか~と思い、同じく過去に適応障害を患った摂理のお姉さんに連絡をしてみた。

適応障害になったきっかけや症状は違っても、同じ苦痛を味わった人だという安心感はものすごい。

まず当たり前だけど「適応障害とは何か」を完全に理解しているので、いちいち何か説明をする必要がない。

この説明が必要かどうかで、ストレスが全く違う。

精神疾患に対して「甘えでは?」と思う人は少なからずいるし、

そう思われる恐怖を背負って相手に自分の症状を伝えるというのは、本当~に勇気のいることで。

でも、分かっている人に対しては、否定的な見方をされるという恐怖心がない。

だから、<真剣な話>や<相談>をしたくなったときは、「知っている人」か、「専門家」に話すのが一番いい。

またラッキーだったのは、そのお姉さんは「適応障害とはこういうもんだ」「克服するためにはこうすべき」というスタンスではなかった。

「私は医者じゃないから…」という前置きをしてくれる謙虚さに、優しさを感じた。(「もっと巨勢張っていいですよ」と言いたくなるほど笑)

そこで一瞬で何か解決するわけではなかったとしても、「あー、分かる分かる」「私こんなことあったよ」という共感が、心地よい。

もちろん、自分を何も知らない人に自分の話をする機会が唐突に訪れることもある。

それはそれでいいし、そこから答えが得られるときだってある。

だからそういう意味で、自分の中で人を差別するつもりは、一切ない。

別に精神疾患に関わらずとも、どの分野に関しても同じだよね。

神様は機会を求める人に、必要な人を通して話してくれる。

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