高慢と傲慢の違い

 

よく摂理の御言葉や聖書の中に、

 

〇高慢

〇傲慢

 

の言葉が出てきます。

 

どちらも持っているなら早く捨てるべき性格です。

 

旧約時代から神様は「高慢になってはいけない」と言い続けています。

(参考…サムエル上2:3、ヤコブの手紙4:16 等)

 

 

 

高慢と傲慢、どちらもよく聞くんですけど、

意味を明確に分かって説明できないな~と思って、ちょっと調べてみました。

 

 

▢高慢

自分の才能・容貌(ようぼう)などが人よりすぐれていると思い上がって、人を見下すこと。

(出典:コトバンク)

 

▢傲慢

思い上がった気持ちで、人を見下す様子。

(出典:TRANS Biz)

 

 

なんだそうです。

 

うーん、どちらも「人を見下す」意味は入っていて、似ている気が…

 

 

具体的にどのように違うのかもう少し深掘りしました。

 

 

「傲慢」行動や振る舞いに現れていること、「高慢」は心の中で思っているだけで行動には移さないことです。(出典:英語部)

「人を見下す様子」は同じですが、人より自分の才能や容姿などが優れていると思い、「うぬぼれる態度」が加わると、「高慢」となります。(出典:TRANS Biz)

 

ちなみに「うぬぼれる」とは、

⇒実際以上に自分をすぐれていると思って得意になる。(出典:Weblio)

 

 

なるほど…

実際に見下す態度をとり、相手を不快にさせる点では「傲慢」のほうが悪質な気もしますが、

実際の実力を勘違いして「俺(私)って天才、最高」って思い上がってる人を見るのも、まあ痛々しいですね。なんというか「この人残念だな」って思います。

 

 

ちなみにですが、「高慢」「傲慢」の類義語としては、

横柄、不遜、高飛車

などがあります。

 

また、対義語としては、

謙虚、謙遜

などがあります。

 

 

 

聖書ではイエス様も、「謙虚」でありなさい、とおっしゃっていて、

(参考…エペソ4:2、ペテロ第一 3:8)

 

鄭明析牧師はみんなから慕われ指導をする立場にいながらも、決して謙虚さを忘れる人ではありません。

行事のときもスポーツウェアで率先して掃除なさっている姿を見ると、本当にすごいなと思います。

 

 

 

信仰があってもなくても、高慢・傲慢な人とは接したくないと思うし、

 

逆に謙虚な人には「この人から学びたい」と思いますよね。

 

 

人格的に優れた人になりたいなと思います^^

 

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