神様は誰のための存在なのか?鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の姿を見て考えてみた

今日は摂理に関することを書いてみようと思います。

私はあまり人前で「神様~!」とか口に出して言うタイプではなのですが、

一応、信仰持ってるので(笑)

普段何を考えて生活してるのか、ほんの少し紹介。

うつ病になった私の精神を支えているものは、

摂理と、鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の存在です。

「神様とか御言葉(みことば)って、弱い人のためのものでしょう?」

日本にいると、そんな声がよく聞こえてきます。

あと、「宗教」というだけで「変なヤツ」と思われる現実もありますよね。

私も知り合いが宗教人だと言われると、いったん身構えるというか、それがどういう宗教なのかググります。笑

そんな中、摂理の教会に通ってしばらく経ちますけど、

みんな弱くないし、若い人多いじゃん。

って率直に思います。

エリートや専門家も多いし。

摂理があれこれ言われていることを、私も当然知ってはいます。

しかし、

教会の人に監禁されたり、

教祖が強姦罪を犯していたり、

殺人を強要してきたら、

私は早々に脱会していたことでしょう。

断言しますが、摂理にいてそういうこと一回もありませんでした。

なので、宗教も神様も、弱い人のための存在ではないんだと思います。

私の心に残っているエピソードをひとつ。

摂理の創設者である鄭明析牧師(以下「先生」)に、昨年8月に初めてお会いしたときのこと。

先生の生まれ育った、韓国の月明洞(ウォルミョンドン)に会いに行ってきました。

「今から来るの?

そしたら、夕方に会おうね」

ある時、先生はそうおっしゃって、私たちに約束してくださいました。

しかし、いざ夕方になると、

続く怒涛のプログラムにより、

先生は疲労困憊で顔を上げることも、話すこともできない状態でした。

朝は誰よりも早く、

夜は誰よりも遅い、

誰がどう見ても、「早く休んでください」と言うしかないほどのスケジュール。

説教、スポーツ、巡回、その他様々な仕事。

先生は年齢は70歳をこえます。

日本では要介護認定を受けられる年齢をこえています(職業柄の視点)

そんな状態でも、約束を果たすために、

倒れながらも出てきてくださいました。

言葉の通じない、自分よりもはるかに年下の、私たちに会いに。

そのあまりにも忠実な姿を前にして、

「神様や御言葉は、弱い人のための存在」

と言うのは、失礼極まりないと思いました。

そして、どんなに「強い人」でも、

先生と同じことは絶対にできないと思いました。

あまりに短い文章ですが、そんな出来事。

何かあると、あの時の先生が脳に浮かんで私を元気づけてくれます。

私はうつ病だから摂理にいるのではないです。

というか、うつ病になる前から摂理にいます。

摂理は、今も昔も変わらない真実な姿で生きている先生自身を見て、

私が自分で選んだ道でした。

そんな感じ。

気が向いたら、摂理や先生のこと紹介しようと思いますので、

気が向いたら、また読んでください( ˘ω˘ )笑

では~

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